南アジア・パキスタンの東部に、カラシュ人またはカラーシュ人と呼ばれる民族がすんでいる。
彼らの容姿は、周辺に居住している他の民族とも異なる。特に幼少期は金髪、紺碧目で色白という北ヨーロッパ人を思わせる外見をもつ者もいるという。また、周辺とは異なる宗教を信仰している。
彼らは、パキスタンの北西辺境州 のチトラル地区に住む。似通った民族にヌーリスターン人がいるが、彼らとの違いはイスラム教を信仰せず独自の地域宗教を持つ点にある。隣接するヌリスタン(歴史的にはカフィリスタン)の人々は、かつて同じ文化を持ち、いくつかの区別を持って、カラシュによって遵守された同じ信仰を実践していた。しかし、ヌーリスターン人は1895年から96年にかけて強制的にイスラーム教に改宗したが、カラシュ人の人々は習慣を実践し続けている。
彼らの言語はインド・イラン語派ダルド語群チトラル諸語のカラシュ語を話す他、第二言語としてウルドゥー語やパシュトー語も話す。
カラシュの人々の文化はほかのイスラーム人のそれとは異なっており、パキスタン北西部で最も優位に立っている多くの現代イスラームの民族とはその他にも、多くの点で異なっているとされている。イスラーム教とは異なり、彼らは民族の伝統的な多神教を太古の昔からずっと信仰しておりであり、また、自然は日常生活の中で非常に重要なものだ。
チトラル諸語に属するこの言語(カラシャ・ムン)の方をカラシュ語、カラシャ語という。区別のため、ワイガル語はヌーリスターン・カラシャ語ともいう。カラシュ語はパキスタンのカイバル・パクトゥンクワ州チトラルの先に話した3つの谷のカラシュ人たちによって日常的に話されている。
彼らの宗教的伝統の一部として、神に対する犠牲が提供され、祭りは彼らの3つの谷の豊富な資源に感謝を与えるために開催される。その3つのカラシュ渓谷は、2つの異なる文化地域、1つを形成するルンブールとバンブレットの谷、そしてビリル渓谷で構成されているは、その中でも、ビリルの渓谷の文化はほかの2つのうち、最も伝統的であるとされている。
彼らのヨーロッパ民族な容姿やその独特の文化・風俗から、アフガニスタンのヌーリスターン人と同じく、ギリシャのかの著名なアレクサンドロス3世(アレキサンダー大王)がひきい、東征をともに戦った軍隊の子孫である、という説も存在する。
ここまでの証拠があるならば、最早アレクサンドロス3世の軍隊の末裔に違いない…。そう思ってしまいであろう。
しかし、そうではないという意見が存在している。確かに、彼らはアレクサンドロス3世の東征と関連付けられた民族ではあるものの、更に現実的な意見もあるのだ。「彼らは、インド・ヨーロッパ語族に属する先住民の子孫であり、アレクサンドロス3世の軍隊の末裔などではない」とするものである。
はたして、2つの説のうち、どちらが真実なんだろうか?
そのような、独特な文化を豊かにほじるカラシュ人だが、」最近では、カラシュ人コミュニティに対するデマが飛び交っているという。
その最たる例が「動画投稿サイトのユーチューブYouTubeにアップされた、夫の目の前で自らが選んだ相手と堂々と性行為をするカラシュ人女性」と銘打たれた動画である。
どう見てもおかしいこの動画だが、実際、われわれ人間はあさましいもので、130万回再生されたそうだ。また、カラシュの女性を「美しい不信心者」と呼び、「誰でもそこへ行けば、どの子とでも結婚できる」と言い放つ動画もある。
カラシュ人が最も多く住む村ブンブレット(Bumburate)のホテルの支配人によると、宿泊するパキスタン人観光客の多くが、若い男性だという。「イスラームの世界とが異なった魅惑的なもの」を目指してはるばる訪れ、彼らの文化や生活よりも、どこに行けば女性に会えるかをもっともの関心事にする観光客も目立っているとか…。
しかし、私たちは、カラシュ人の本当の姿を知る必要があるのではないだろうか。この民族の生活を守るためには、それが最も手軽な方法だ、と筆者は考える。
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